読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

我が人生の時の人々スペシャル;開けっ広げな自慢

私はとても消極的な性格で、派手な人生経験もない。だが、意地と言うか、一度、開けっ広げな自慢を一度だけなら、書いても良いかと思う。(・・;)

我が人生の時の人々、最近はちょっとお休みしているが、忘れた訳ではない。

私はクラシックの感想とかは良かった。感動した。とか、情緒的なことしか書かないが、美術はけっこう踏み込んだことを書く。それは何故かと言うと、大学の時に国文学が本業だが、美術史や心理学もけっこう熱を入れて、勉強していたからである。

東大の先生は必ずしも東大に所属する教授だけではなく、その時代に人気のある有名人や、学者もいる。それで、ある時、五島美術館の偉い人が来て、美術史のけっこう専門的なことをみっちり習った。館長ではなかった。お名前も忘れてしまった。しかし、習ったことは忘れない。それが学問である。

その人は海外でも活躍し、国内の美術館の遅れているところなどもズバズバ切っていた。よって、私は日本の学芸員の話をわざわざ聞きに行ったりしなくなった。

余談だが、美術史の研究室にはいろんな美術館から山ほどチケットが送られてきていて、平気で十枚ぐらいとってきたりしたので、大学の時は美術館でチケットを買うことはなかったのではないかと思う。(・・;)

そんな風に先生に美術史を習い、自分も美術を観て、実践していた。

そして、最後のテストの時、みんな、びっくりした。とても難しいテストだったのである。

私もテストそのものはそんなに出来なかったと思う。しかし、自由に記述して良いという空白があり、腹をくくって、東京で日本の伝統美術を観られる美術館とその傾向、という論文をテスト用紙の裏一面に書き、提出した。

そうすると、ほとんどの子が落第したなか、私は良い成績で合格し、美術史が専門でないのに、あのテストに合格したものがいるらしいと、ちょっとした評判になった。

しかし、これは私の知識が多いとか、センスが優れているという訳ではない。その論文には私がちょっと講義が休みになると美術館に行く、あるがままの真実、情熱があった、美術への愛があったことが評価されたのだと思う。

あれから二十年弱、先生が作ってくださった基盤をもとに、美術館に通い続けている。それは先生との愛のメモリーでもあると思う。(・・;)

以上、開けっ広げな自慢でした。