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【そもそも人間学とは何か】 学修の基本則:胆大心小

知古嶋芳琉です。

引き続き、

私が師事した安岡正篤師の講義録、

『人物を創る』「大学」「小学」(プレジデント社

の中から、

この本の後半の、

『小学』のご紹介です。

−−−ここからは引用です−−−

処世の根本法則 小学

第一章 独を慎む

3、 学修の基本則

○ 胆大心小

−−−原文−−−

孫思(そんし)【ばく】曰く、

胆(たん)は大ならんことを欲し、

而して心は小ならんことを欲す。

智は円ならんことを欲し、

而して行は方ならんことを欲す。

 (『唐書』隠逸伝)

−−−原文の解説−−−

 これは

『唐書』

の隠逸伝にあるのを引用した一文であります。

本分は明代にできた

「清言」

という種類の著述にもずいぶん引用されております。

清言というのは、

竹林の七賢などによって代表される、

現実を無視した

自由な原論を事とする、

いわゆる清談とは趣を異にし、

明代の知識・教養の高い人々が、

その頃になって

渾然と融合されてきた儒・仏・道の三教に

自由に出入りして、

それぞれ

自分の好みから

会心の文句や文章を拾い出し、

それに自分の考えをつけた読書録のことで、

今日の

いわゆる

何々ノートといった種類のものであります。

日本で有名なものでは

菜根譚』や

『酔古堂剣掃』

『寒松堂庸言』

というようなものがあります。

たとえば

この文章の後には、

「志は雄にして、情は細なり。見高くして、言平なり」、

というようなことを付け加えております。

さて、

「胆(たん)は大ならんことを欲し、

而して心は小ならんことを欲す」、

こういう場合の胆は胆嚢・肝臓であり、

心は心臓としてよい。

肝臓・胆嚢・心臓が

人間の心理に独得の影響・交渉を持つことは、

今日の生理学が解明しておりますが、

胆嚢・肝臓は

実行力に影響する。

だから

「胆は大ならんことを欲す」とは、

大きな実行力を持たねばならぬ、

ということであります。

したがって

実践力の伴なう見識のことを胆識という。

ところが実行するには

綿密な観察をする必要がある。

そういう知力が

「心」というものであります。

胆・心両方が相俟って初めて危気なく実行できる。

○ 「知」の本質

 同様に、

「智は円ならんことを欲し、

而して行は方ならんことを欲す」、

智(知)の本質は物を区別し、

認識し、

推理してゆくにある。

だから

「物分かり」という。

しかし

「分かつ」という働きがだんだん末梢化してゆくと、

生命の本源から遠ざかる。

本当の智というものは

物を分別すると同時に、

物を総合・統一してゆかねばならない。

末梢化すれば

常に根本に還(かえ)らなければならない。

これが円であります。

仏教では「大円鏡智」ということを説きますが、

分別智は同時に「円通」でなければならない。

<「円通」とは(えんつう:《「周円融通」の略》仏語。

智慧によって悟られた絶対の真理は、あまねくゆきわ

たり、その作用は自在であること。また、真理を悟る

智慧の実践。「円通大士(えんずうだいし:《円満融通

の菩薩(ぼさつ)の意》観世音菩薩の異称」の略>

「而して行は方ならんことを欲す」、

「方」は方角であります。

行なうということは

現実に実践することでありますから、

必ず対象というものを生ずる、相対的になる。

これが方であります。

だから方を「くらべる」と読むし、

また

相対的関係を正しくするという意味で

「ただし」と読むのであります。

「行」はどうしても相対的境地に立つから、

その相対的関係を正しく処理された場合にこれを

「義」と言い、方義・義方と言うのであります。

 しかし、

世の中というものは

往々にして智は円になりそこね、

行は方になりそこなって、

無方になりがちであります。

幕末、武士階級を罵(ののし)った「落首」に、

<「落首」とは(らくしゅ:平安時代から江戸時代に

かけて流行した表現手法の一つである。

公共の場所、特に人の集まりやすい辻や河原などに

立て札を立て、主に世相を風刺した狂歌を匿名で

公開する。当然のことながら当時言論の自由というも

のは存在せず、政治批判は極めて危険性の高い

行為だったが、匿名での公開によって、読み書きが

できる者なら誰でも自由に言論活動を展開することが

できた。類似した例に「落書」(らくしょ)があり、落首

よりやや長めの文が公開された。有名な落書として

「二条河原の落書」が挙げられる。)>

「世の中は左様でござる、

ごもっとも、

なんとござるか、

しかと存ぜず」

というのがありますが、

幕府の支配階級はそのために亡んだのであります。

今日の知識階級などにもこういう連中が多い。

行は方ならんことを欲する。

筋道を立てるということは

なかなか難しいことであります。

−−−引用はここまでです−−−